ラバーカップ、求めて。
トイレが、詰まった。
溢れそうで、溢れない、そんな駆け引きは、恋にも似ていて。
重い思いは、水に流そう。流れにくいけれど。
「お湯を入れると良い。」先駆者は言った。ブログで言ってた。
「熱湯は陶器が割れることがある。」そうとも言ってた。
ティファールも、煮え切らない態度のままで、50℃くらいにしたら、トイレに流してみた。
流した。
流した。
流した。
そして、水を、流した。
「人生、辛いことが9割、楽しいことが1割だよ」母はそう言っていた。
いつも安心しきっていた。
レバーを倒せば、水は流れ、管を通り、あふれ出た思いたちは長い旅をする。
日常が日常でなくなった時、人はこんなにも弱い。
今朝。
1週間前に作ったゆでたまごを食べてみた。
ヨーグルトも食べた。
「まぁ流れないわけではないから、小便はイケる」
人生における失敗の生まれ出でるところとは、大半がタカをくくったときだ。
昨日が無事に過ごせたとしても、1日で状況が変わることなんて、ザラだ。
お腹が、痛くなった。
トイレは、詰まったままだった。
待ってくれ、まだ、行かないでくれーーーーーー
なかやまきんにくんが自分の筋肉に語りかけるよう、俺は自分の腹部に声ならぬ声をかける。
俺は走った。
いや、むしろ歩いた。
あふれ出そうな情熱を、近くて遠いトイレとの距離に絶望を、感じながら。
自分の筋肉を部分的に収縮させ、慎重に歩いた。
外に出てみたら、街は地域の小さな祭りをしていた。
出店、黄緑色の法被を着たおじさん、おばさんたち。
演奏するであろう、中学生の吹奏楽部。
嫌な予感がした。
でも、予感が予感で終わることもある。
よかった。
開いていた。近所の地区センターの男子トイレ個室。
生みの苦しみは、生れ出たものと出会ったときに、喜びに変わる。
一人、誰にも分かちえないけれど、ガッツポーズを決めた。便座で、前にちょっと、かがみながら。
やさしく、拭いた。紙は、硬かったけれど。
ラバーカップを、ください。
108円。
何度も振り下ろし、溜まっていた思いは、穏やかな様相を取り戻す。
水はまた、長い旅に出る。
これがうちの自慢のラバーカップなんだ、そう見せつけるように、軒先に干した。
長い闘いだった。
目を閉じて、思いを馳せる。
秋空の、水色広がるさわやかな日だった。
〆