記憶は別名保存、恥は上からぬりぬり
友達の結婚式で思い出したけれど、
友達がその奥さんに紹介している俺の話が
・山形旅行に行ったときにこれうまいんだよ!とコンビニのゆで卵をその場のノリで全部買い占めた人
・柔道着と間違えて〇〇を持ってきた男
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・毎日のように電話してて浮気相手かと思った人
なんていう話なので、毎回「あーこの人が!」という顔をされる。
俺は一体どういう人だと想像されていたんだろうか。
最近結婚した友達とは、共通の友人の結婚式場に行くまでにこんな思い出もある。
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前の会社でもみんなの思い出には仕事のことよりも日常のことの方が記憶に新しい気もする。
・エレベーターのわずかな隙間に会社携帯を落とした
・会社のトイレで「事後水洗後」に携帯を水没させた
・会社の雑務のマニュアルを作って、ラミネートフィルムに挟んだら知らない人の名刺も一緒に挟んでた
・後輩に自分の退職送別会を開いてもらう予定が自分だけに連絡が来てなくて直前まで行く店がわからなかったこと
「俺抜きの送別会かと思った」と言ったらその発想を笑われた
こうやって記憶に残っていくんだろうか。
不本意なことが、多いながらも。
〆
マカロニサラダ
友達が結婚した。
友達が続々と結婚した。
こう、感慨深いものがあるんだよなぁ
式に呼ばれるってことは、何年かぶりに会ったりするのに、
俺がしっかり覚えているその人が、その人の記憶にしっかりと自分が残ってくれていて、
そして親しみを感じてくれていて、
それで祝ってくれって言われてよっしゃーと行くわけだ。
なんだかうれしいよね。
結婚式の主役となる友達の新郎はみなかっこよい。
緊張してるだろうけど、晴れやかな、キリっとした顔で堂々と歩いてくる。
そして新郎を迎える友人たちはみな見慣れない友人をちょっと面白く感じたり、誇らしく感じたりで思わず笑ってしまう。
たいていは社会人になってから出会う人と結婚するので、新婦の方はたいてい知らない人だけれども、
あーあいつはこういう人と幸せになるのだなぁとしみじみと思う。
あと、披露宴で新郎が最後のお礼を伝えるときとか、結構グッとくる。
俺はこんなに立派に言えないなぁと思いつつ聞く。
新婦のかたの家族への言葉は意外と泣けないことが多い。
逆に親御さんが読む手紙や最後の言葉とかに胸が詰まることがある。
うちはもう父がだいぶ前に亡くなっているから、
もうああいう風に手紙を読んでもらう機会は永遠に失ったんだなあとも思う。
そう、親御さんが手紙を読むと父がふと思い浮かぶんだな。
別に手紙読むこともないし、深い言葉とか言われた記憶はあまりないのだけれども、
父ちゃんに感謝する機会も墓の前で言うしかないし、届いてんだか届いてないんだか。
ふと思い出す瞬間があって。
父の呼吸が止まった瞬間。
白い壁に囲まれた病室のベッドで、何本も管につながれて、目も開けないけれど、かすかに呼吸で体が上下する。
生きていることがわかるのは、生きていることを示す、緑色の波長。
家族で呼びかけても、応答はない。
でもそうすれば戻ってくるんじゃないかって。意識が、どんどん弱くなっている脈が、戻るんじゃないかと思って声を張る。
どう言えば、何を言えばいいのか分からないから俺は「父ちゃん」と呼ぶ。
1回だけ、かすかに強くなった。
ああ、でも弱くなってきた。ああ、ああ。次の波はこなかった。
口の動きが止まった。
動かなくなった。
父は戻ってこなかった。
その後は手際よく搬送されて、式や、火葬も色々な人の協力と、母と、親族の奮闘により無事に終えた。その後のことは、なぜかうすぼけている。
命が消えた瞬間をよく覚えている。
やっぱり生きててほしかったなーとつくづく思う。
そういや近況を報告すると
社会人になって家に彼女が初めてくるかもしれないと思ったときに家でもてなそうと思ってホームスタークラシックをわざわざ購入したけれども、結局二人で使うことはなく使わないのもなんだから自分が寝る前に天井に映る星々をじっと見つめて、かすかなモーター音の「ジィイイイィイイィイ」という音に快眠を妨げられながら過ごし、引っ越しのときに不用品として売ったら500円くらいだったそんな俺も結婚したよ。
ホームスタークラシック
あと転職もした。引っ越しもした。人生大忙しなのにまったくこの鈍感さでぬくぬくと生きているのだから、このにぶさでだれかに迷惑をかけているんではなかろうかと思いつつ、まあいいかと生きてる。
死なずに生きていきたい。今年の目標。
〆
推薦入試で自分を推薦できない人の話。
「あなたが中学時代に一番力を入れたことを教えてください」
高校の推薦入試。
俺は題名に、こう書いた。
「漢字検定2級を取ったこと」
いかに中学時代に漢字検定2級を取るのが難しいことか。周りからは「お前には無理だ」と言われながらッ!諦めずに!コツコツ勉強!千里の道も一歩から!友情ゥ!努力ッ!勝利ェ!合格ゥウ!次は準一級を目指します!以上!
話を膨らます能力だけは認められてもいいと思うんだよな。400字だか800字だか、結構頑張ったよ?
あとろくに練習していなかった面接で、サッカーやってたことを聞かれ、「ぜ、ぜ全試合で得点してました。」とか言ってしまった俺も知らないスタープレーヤーがここに。ちなみにポジションはディフェンスやってました。全試合得点とかすげーな。
制限時間90分くらいのところ30分程度しかかからなかった小論文、高揚しかなかった面接が終わり、鼻息荒く、なぜか完全に勝利したとしか思えない気持ちになり、俺の次の順番の面接のやつにはこう言ってやったよ。「大丈夫、余裕だから、緊張しないで、頑張って。」
家に帰ったら、玄関をガラッと開けて、ただいまも言わないで母にこう言ってやったよ。「俺、たぶん受かったわぁ」
合格通知の掲示板には俺の番号はなく、俺が声をかけた、次の番号の奴が受かってた。
「ねえ、あの子無表情だけど受かったのかな?落ちたのかな?」
憧れの先輩になったかもしれないソフトボール部の先輩がこちらに聞こえるようなひそひそ話をしているのが聞こえた。落ちてた。家に帰った。母に告げた。落ちてた。
面接はガチガチに緊張しててハイになってたのはあるけど、小論文はもう少しどうにかならなかっただろうか。
みんな部活動のこととか書いてたのかな。
頑張ったことといえばアストロノーカってゲームで宇宙一大きいゴボウ作ろうとしてたりしてたくらいしか思い当たらないよ。
あと当時はまってたMapleStoryってオンラインゲームで頑張って12時間経験値をソロ狩りで上げ続けてたこととか。
漢字好きだったんだけどなぁ。スケール小っちゃかったんかなぁ。
ちなみにそのあと勉強頑張ったかといえばそうでもなく、ぬるりと推薦入試に落ちた学校に普通に入試で受かって入りました。
俺が声をかけた面接の次の番号のやつは同じ部活動で力を入れていきましたとさ。
めでたいめでたい。
そしてその高校の卒業式前にあんなことするなんてね。
そのお話はまた今度。
〆
ことば採集①
自宅で中規模掃除をしていて昔の日記を見つけた。
誰かに見せるためのブログと、自分の振り返りのためだけの日記というように分けていて、日記の方は記憶の保管庫になっている。
書いていた当時は全くこんな内向的な内容ばっかりでいいんだろうかと思いつつ書きなぐっていたのだけれども、
今改めて見てみると変なこと書いているなあと思う。
そんなこんなで学生のときの日記からことばを一部だけつまんでみる。
切片が染まらないぞ! 染まらないなら染色体って名前つくんじゃねえ!(2013円1月8日)
当時は染色体を化学処理をして染める研究をしていて、なかなかどうも染まらない。
染めたい細胞種でのプロトコルは確立していなかったので、それの確立を研究テーマとして扱っていたのだけれども、
何の条件が作用して何が原因で染まるのか染まらんのかわからなかった。
ほんと染まれよ、と思った卒論発表2か月前の日記。
卒論発表の手前までデータ揃わなかったしなぁ。
「ここまで来た!松茸の育て方!」という研究室で見つけてシュールだったので彼女に画像で送ったら反応が芳しくなかった。2013年1月21日
今見てちょっと死にたくなった。
寝ぼけて昼飯にもっていこうと思っていたカップラーメンと冷凍ご飯をリュックから取り出してテーブルに置き、食べようとしていたフルーツグラノーラと紙パック牛乳(1.5L)とお皿をリュックに入れようとしていた。2013年1月29日
あるよね。こういうこと。
ウサギの肉は苦い。カンガルーはあとで苦くて吐きそうになる。ワニとシカはうまい。2013年2月18日
珍肉パーティーをしたときの記録。
当時、家にウサギがいたから複雑な気分だった。
ワニはうまい。あとクマはくさかったな。
プレゼンのコツは「俺ならわかるけど難しいな」と思わせるくらいにするのがいい 2013年2月21日
知らない人にわかりやすく、という考えでプレゼン資料を作っていたのだけれども、
大学教授相手だとそういう見せ方もありなのかと。
今だと、プレゼンする相手によって何をどう見せるべきなのかと考えるようになった上で、
そういえば教授相手だとこういう見せ方もありなんだなとちょっと考えさせられたので。
相手は知性をもった化け物だと思え、とも言われた気もする。
卒論発表。スーツがない。2013年2月27日
着ていくスーツがクリーニングに出されたまんまだった。
父のスーツを着てみたらさすがにクッキングパパみたいな体型(アゴではない)の父と俺ではまったく合わなかった。
急遽先輩のスーツを借りて卒論発表をした思い出。
なんだか人って変わらんよね。
ポンデリングを食べる際、逆ポンデリングにして食べるクセがついてしまった。変なの。2013年3月7日
右のような感じでつなげてからすべて食べるという。大丈夫、変という自覚を持っているならばまだ大丈夫、大丈夫…
TIMEXで時計の電池交換を頼んだら、2100円もした。受付の人が美人で、目を合わせるのが難しかった。そして住所とかを書くときの自分の字の汚さに、とてもがっかりした。2013年3月10日
下手なんだよな。
上手いほうがいいんだろうか? ペン字講座って意外とお金かかるのね。
先輩にWWCCについて教えてもらった。カーリングの世界選手権が出てくるが、それが正解ではない。World Wide "Catan" Chanpiomship の略である。 2013年3月16日
世界クラスだと囲んで取っていくらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=RMN14SKRvJw
4人でやると数時間にもわたって戦うこともあるため、カタンの合間に実験を進めるようなものだった。
ここまで。
〆
たまには人の話を。
昔から文章を書くのが好きで、それを人が見てクスっと笑ってくれたりするのが結構好きだった。
しかし最近はどうも書く気が起きない、というかアウトプットしようとするとごちゃごちゃしたものをまとめる技術がなくなってきているのだ。
それもそうで、書きたいことなんて腐るほどある。しかし小出ししていないのでネタが雪だるま方式に固まっていて脳からポンと取り出せないからだ。
なんか書きたいなぁと思っていてはてなダイアリー開いてみると、人のブログなんて最近見てなかったなと。
ということで、今回は今日見てて面白かったブログを紹介しようと思う。
世の中には「インプット」型と「攻略」型がおりまして(という名の受験勉強攻略法) - 京都物語
受験勉強の時にインプットが好きな人と、攻略が好きな人に分かれるんじゃないか、ということ。
たしかに攻略していくのが楽しい人と、雑談や小ネタが好きな人に分かれているんだなと。
思ったのが、そういえば人っていろいろ分類できるんだな、という本当に基本的なことに気づいた。
人への興味を結構失っていたんだなーと。
分類するというのが人を決めつけているようだし、
なおかつそれが客観的に正しいの? とか「正しさ」に目を向けているのが最近の自分の思考傾向だった。
中学生とかねえ、高校生のころは「好きなことは人間観察です(笑)」みたいな目に入れるととても痛いこと主張していたのにな。
今思い出したけど大学1年生のときに帰りに仙台駅西口の目の前にあるベンチに座ってみて駅前の人たちをぼーっと見ていて、「知り合いが誰かいたら帰る」と心に決めたら2時間以上帰れなかった思い出がある。
分かっていると思うがその時間、誰も知り合いは通らなかった。自分の可能性を信じすぎていた4月。
転機を繰りかえしてたどり着いた自分らしくいられる場所 - Somewhere in the Arctic
自分の中でどういう転機があって、今住んでいるスウェーデンの北極圏近くの小さな町に行き着いたのかが書かれている。
自分の中で何か思うことがあって、転職して、まったく未知の世界にも飛び込むなんて素直にすごいなと。
最初はスウェーデンでは言葉も通じなかったそうだし、まったく0からのスタートで選んだ道が間違っていたんじゃないかって思うこともあっただろうな。
それでも自分で選んでいるから今までの道筋を表現できる。
なんだか自分がここ2年くらい自分の頭で考えて過ごしていない気がするなぁと思わされた。
あとオーロラは死ぬ前までに見たいなぁ。えらい綺麗だろうなぁ。
大学の同級生と泉ヶ岳で見たなんとか流星群のときも真っ暗な空に流れ星が結構流れててよかったなぁ。寒かったけど。
米沢でほとんど街灯もないところで高校の同級生と見た星空も綺麗だったなぁ。インド人に似た顔と言われていたあの友人は、きっと歴代の彼女をあそこに連れて行っているのだろう。
ご注文を、させてください。 - 枕が恋しい日々 で車に乗せてもらった友人と同一人物。
そういや社会人になって家に彼女が初めてくるかもしれないと思ったときに家でもてなそうと思ってホームスタークラシックをわざわざ購入したのだけれども、結局二人で使うことはなく自分が寝る前に天井に映る星々を見ることが多かった。かすかなモーター音の「ジィイイイィイイィイ」という音が気になって、やや眠りにくくなった。引っ越しのときに売ったら、500円くらいだった。
結構綺麗でいいよ。でも一人で眺めてると、結構、あれだよ。
ミスチル桜井和寿は全225曲中どれだけ「イェッヘッヘ!」と叫んでいるのか調べた - kansou
もうタイトルで好きだと思った。
見てみたら声出して笑えた。これ見て、今日ブログ書いてみようと思った。
こういう本気で準備してて、本当にくだらないのが好きだなぁ。
こういうの文章化するからいいんだよな。
182. ロックンロールは生きている とかでのやたら長いの見た後で、222. ヒカリノアトリエ の短いの見たりするとギャップにやられる。
以上、人のブログ見てて楽しいなーと思ったので紹介と自分の過去の思い出を取り出す作業でした。
結局人の話するより自分の話するほう好きなんだよな。
〆
真っ白な景色に誘われて
以前そういえば次はこれ書こうと思っていたことがあったけど放っておいてしまっていた。
年貢として納めておこう。
高校2年生の時のクラスは、最初のうちは仲良くなれそうになれない人たちばっかりなんじゃないかと、とても不安だった。
唯一、1年生の時から仲の良かったジャガーと呼んでいた男だけは一緒だった。
「ジャガー」
というとそういえば初めて聞く人には何その名前、となると思うけれど、
名前が「じゅんいち」で、当時ジャンプで連載していた「ピューと吹く!ジャガー」に出てくるジャガージュン市から取ってなぜかジャガーと呼んでいた。
慣れてしまっていたので全然気にしてなかったのだけれども、
大学卒業くらいからいきなり人前で「ジャガー」と呼ぶのはどうかと気づき始め、友達の「じゅんち」という呼び方にシフトした。お互いジジイになったらあえてジャガーと呼びたいが。
ちなみに俺は高校生のときはサッカーで色黒に日焼けしてたら「中東の兵士みたいだな」とインド人みたいな顔の男から「イスラエル」と呼ばれていた。それを聞いてガハハと豪快に笑うゴリラみたいなキョウヘイという男はフィリピン人のハーフだった。国際色豊かだった。
そんなジャガーも結婚した。
ありがたいことに結婚式に呼んでもらい、体と目線を固定したまま首を回すこともできるインド人みたいな友達と秋田へと向かった。
それがこの前のこと。
iamfroginstomach.hatenablog.com
結婚式二次会の帰り、最後に出口で送り出してくれたジャガーが、奥さんに「これがあの話の人だよ」とささやくと、
奥さんから「あー!あの〇ー〇の人かー!!」と驚かれた。
あぁそんなことがあったなあ・・・ と思い出したことがあった。
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高校2年生のとき、体育の科目は男子は柔道、女子はダンスだった。
女子がどのようなダンスをしていたのかは知る権利を行使するべきであったが内気なので聞くことはなかった。
当時は「女子と話すとかあいつすげえな・・・」って思う男子です。今も根本はそんな変わってないけど。
創作ダンスとか聞いたことあったけど何作り出すんだ。ココリコ田中のコンテンポラリーダンスみたいなものか。
https://www.youtube.com/watch?v=s1TjFUtmUcE
詳しくは上の動画でどうぞ。後悔するかもしれんぞ。
柔道は顔が怖くて熊みたいな先生が担当だった。
怖いことで有名なので、ズル休みなんてできない。
そんなことしようものなら放課後まで延々と前回り受け身とかさせられそうな厳しい人だ。というか熊だ。もはや熊。
そんな厳しいと聞いている熊の初めての授業があった。
持ち物は柔道着。当然だ。
買って以来ほぼ部屋の押し入れに詰め込んだだけの柔道着は探すのが面倒で、
上着と帯とかを見つけてバッグに放り込んだ。
柔道の授業が始まったのはいつ頃だったか。
夏よりは前だったような気もする。
高校2年生での同級生も慣れてくると、面白い人たちばかりだった。
バスケ部の人が多くて、最初は身内感が強くて怖かったのだけれども、
いざ身内感が広がってフラットになると気の置けない人たちばかりだった。
とは言ってもまだまだクラスが始まって初期段階。
前のクラスの人たちに話ししに行ったり、もう少しなじむには時間が必要だった。
「柔道だりーなー」「あつみ先生だったっけ、熊みたいな」「熊みたいだよなー」
とか言いつつ更衣室に柔道着に着替えに行こうとしていた。
柔道着のセットだけを持っていこうとする。
上着を持った、帯も持った、
でも。
柔道着の下がやたら長い。
バッグから取り出すとびろびろと伸びる。
なんだこれ。
あれ。
これ。
ベッドのシーツだった。
教室で取り出すまでまったく気づかなかった。
そう、怖いと有名な熊のような先生の初授業に柔道着と間違えてベッドのシーツを持ってきた男がここに現れたのだ。
周りにはくっそ笑われ、なんとかして履こうとしてもさすがに履けない。というか履物ではない。いっそのこと新しい柔道着スタイルということでもいいのではないかと思ったのだけれども、先生が怖いのでおとなしく白状しに行くことになった。
「先生、柔道着と間違えてシーツ持ってきちゃったんですが・・・」
「お、おう・・・じゃあ今日は休みだな。次から気をつけろよ・・・」
無事に休めた。
休めたが、気は休まらなかった。
クラスメイトとは、これがきっかけかは知らないけれど、一層仲良くなれた。
そう、過去にこんな出来事があり、
ジャガーの奥さんには二次会の帰りにこう言われたのだ。
奥さん
「あー!あの"シーツ"の人かー!!」
言われた瞬間、ぶわーーっと教室でカバンから取り出したベッドの真っ白なシーツのシーンが頭をよぎり、色鮮やかに思い出した。
笑い話である。
さて、お題はお題「カウントダウンの過ごし方」
前回り受け身でも、しようかな。
〆
魔窟
魔窟であった。
高校の友達と会った。
高円寺によく行ってたそうだから、
高円寺に行ってみよう、と。
ぐるぐる周りをうろついて、南に行ったり東に行ったり西に戻って更に南下したり。
七つ森という喫茶店に落ち着く。
カレーがおいしく、珈琲とケーキのセットも美味しい。
陰ながらおすすめのところだ。
懐かしい先生の話や、最近共通の友達が結婚したこと、いまの仕事の話など。
高校の美術の横山先生にもう一度会ってみたいなぁ
今あったらあんだけ面白い先生はなかなかいなかったんだろうな。
仲の良い何人かでガンタンクを天ぷらにしたものを自由作品のグループ提出物として認めてくれる先生なんてそういない。
ワケが分からないと思うけれど、当時の友達の発想が天才すぎた。
その美術の先生の友達で、リアルに描いた500円の画をコンクリートの上に置いておいて、それを拾う人たちを写真に撮る人の話は未だに覚えているなぁ。
あと青いつなぎを着ていて当時ネットで流行っていた漫画のキャラに似すぎてた。
二軒目をどうするか。
それを考えていたときに通ってきた道を思い出した。
煌々と輝く「ミニ四駆バー」の文字が、そこにはあった。
ミニ四駆なんてコロコロで烈アンド豪が流行ったときに少しかじったくらいで、
肉抜きすらできない自分には遠い世界だった。
それでも、当時はすごい盛り上がりようだったことは、よく覚えている。
ミニ四駆バー。
その看板を見て直感が告げている。
ここは絶対二度と行かない場所だ。
そして4階へ昇り、店内に入った。
まず、目の前に現れたのはリューター。
研磨するための工具である。
そしてはんだごて。
見たことない車体。
そしてありえない速さで曲がって行く四駆。
入った瞬間にこれは入る店じゃなかったと確信できた。
お店入るじゃん。
まぁ玄人たちとかいたらさ、なんだい冷やかしかいって感じで一瞥をくれるじゃん。
それでこちらとしてはおぉ、玄人しかいないな、みたいになるんだけどさ。
もはや自分のマシンのセッティングにしか興味がないからこちらを見ることもない。
間違いなく一見さんは入ってはならないところだった。
帰ろう、という言葉をグッッッッと堪え、友達を無理やり付き合わせた。
当初は烈アンド豪みたいに友達にミニ四駆を走らせてもらいながら「いっっっけえええええええええええええ」と叫びながらコースを並走してほしかったんだけど、
到底そんな雰囲気ではなかった。
店内は休日恒例のレースの日だったらしい。
もちろん男性客しかいない。歳は30代から40代のアツイ世代だ。
居場所がない完全にモブキャラと化した我々は一通り試走を繰り返すレーサー達を見て、烈&豪の漫画を読む。
ファイター懐かしい。
烈と豪の、気合いでなんとかするそのスタイル、みんな大好きだぜ
そして店内でレースがついに始まった。
コースは荒れ狂った波のよう。
続々とコースアウトしてしまうミニ四駆たち。
確実に走り抜くか、それでも疾さを求めるか、選択を迫られる。
「ここで追い抜くのかー!? ああっとコースアウトー!!」
店員さんの実況に熱がこもる。
ただ、ミニ四駆が速すぎて実況が全然間に合っておらず、それでいて観客もさしてレースを観ていないことは問題だと思う。
8人のファイターが戦い、走り抜け、そして頂点を決めた。
速すぎて見えないレベル。
そして全く盛り上がりはせずすぐに第二ヒートのために準備を始める漢たち。
彼らは一度の勝利になんて満足しないのだ。
クールに、そしてアツく。
己の車体の調整を続けるのみだ。
ほんと第二ヒートなんていらないから本当に帰りたかったけど、
ここで帰ったらなんかモブキャラとしても負けた気がするから第二ヒートも観た。
手持ち無沙汰なので販売しているミニ四駆を見てみる。
店員さんが解説してくれた。
モーターの位置は変遷していて、俺が知っているのは車体の後ろの方にモーターが載っているものだったのだけど。
フロントモーターになっていたり、中央部にモーターを持ってきたりと、時代によって進化しているそうだ。
製品番号が1から始まるのが汎用で売ってるもので、9から始まるのが数量限定品なんですよ。
ありがとう、もう、お腹いっぱいです、ありがとう。
第二ヒートを見届けて、帰った。
帰りのエレベーターでは笑いが止まらなかった。
きっと使わないポイントカードが、また一つ増えた。
高円寺のミニ四駆バー。
どなたか、ぜひ。
〆