枕が恋しい日々

より視覚と簡潔さが求められる時代に適応できずにいるテキストブログ

マカロニサラダ

友達が結婚した。

友達が続々と結婚した。

こう、感慨深いものがあるんだよなぁ

式に呼ばれるってことは、何年かぶりに会ったりするのに、

俺がしっかり覚えているその人が、その人の記憶にしっかりと自分が残ってくれていて、

そして親しみを感じてくれていて、

それで祝ってくれって言われてよっしゃーと行くわけだ。

なんだかうれしいよね。

 

 

 

結婚式の主役となる友達の新郎はみなかっこよい。

緊張してるだろうけど、晴れやかな、キリっとした顔で堂々と歩いてくる。

そして新郎を迎える友人たちはみな見慣れない友人をちょっと面白く感じたり、誇らしく感じたりで思わず笑ってしまう。

たいていは社会人になってから出会う人と結婚するので、新婦の方はたいてい知らない人だけれども、

あーあいつはこういう人と幸せになるのだなぁとしみじみと思う。

 

 

あと、披露宴で新郎が最後のお礼を伝えるときとか、結構グッとくる。

俺はこんなに立派に言えないなぁと思いつつ聞く。

新婦のかたの家族への言葉は意外と泣けないことが多い。

逆に親御さんが読む手紙や最後の言葉とかに胸が詰まることがある。

うちはもう父がだいぶ前に亡くなっているから、

もうああいう風に手紙を読んでもらう機会は永遠に失ったんだなあとも思う。

そう、親御さんが手紙を読むと父がふと思い浮かぶんだな。

別に手紙読むこともないし、深い言葉とか言われた記憶はあまりないのだけれども、

父ちゃんに感謝する機会も墓の前で言うしかないし、届いてんだか届いてないんだか。

 

 

 

ふと思い出す瞬間があって。

父の呼吸が止まった瞬間。

白い壁に囲まれた病室のベッドで、何本も管につながれて、目も開けないけれど、かすかに呼吸で体が上下する。

生きていることがわかるのは、生きていることを示す、緑色の波長。

家族で呼びかけても、応答はない。

でもそうすれば戻ってくるんじゃないかって。意識が、どんどん弱くなっている脈が、戻るんじゃないかと思って声を張る。

どう言えば、何を言えばいいのか分からないから俺は「父ちゃん」と呼ぶ。

1回だけ、かすかに強くなった。

ああ、でも弱くなってきた。ああ、ああ。次の波はこなかった。

口の動きが止まった。

動かなくなった。

父は戻ってこなかった。

その後は手際よく搬送されて、式や、火葬も色々な人の協力と、母と、親族の奮闘により無事に終えた。その後のことは、なぜかうすぼけている。

命が消えた瞬間をよく覚えている。

 

 

 

 

 

 

やっぱり生きててほしかったなーとつくづく思う。

そういや近況を報告すると

社会人になって家に彼女が初めてくるかもしれないと思ったときに家でもてなそうと思ってホームスタークラシックをわざわざ購入したけれども、結局二人で使うことはなく使わないのもなんだから自分が寝る前に天井に映る星々をじっと見つめて、かすかなモーター音の「ジィイイイィイイィイ」という音に快眠を妨げられながら過ごし、引っ越しのときに不用品として売ったら500円くらいだったそんな俺も結婚したよ。

f:id:FISH9342:20191015221614p:plain

f:id:FISH9342:20191015221655p:plain

 ホームスタークラシック

 

 

 

 

あと転職もした。引っ越しもした。人生大忙しなのにまったくこの鈍感さでぬくぬくと生きているのだから、このにぶさでだれかに迷惑をかけているんではなかろうかと思いつつ、まあいいかと生きてる。

死なずに生きていきたい。今年の目標。