かーわやー
セッション!
今週のお題「今年買って良かったモノ」
アルトサックスを習っている。
リコーダーなんてがんばれゴエモンに出てくる装備くらいにしか考えていなかったし、
楽器を習う絶好の機会が回転寿司のように何度も何度も回ってきたけれど、
そのたび言い訳して力強く見逃してきた。
('-`).。(よく町民叩いて怒らせて屋根に登ってたなぁ)
そんな思いを溜めていながらも今更今更と見逃し続けていたのだけれども、
ふとしたきっかけで研究室の先輩たちがタイミングよくヤマハ大人の音楽教室に入り始め、
それじゃ自分もと、ぬるっと便乗して憧れていたサックスのレッスンに受けに行くことに。
それが去年の11月末。ちょうど今日くらいでサックスを習い始めて1年が経つ。
仙台で習っていた先生の紹介で代々木の音楽教室を紹介してもらい、習いに行ってる。
ラクール50というサックスのクラシックの教本と、ジャズスタンダードの教本の2つを同時に進める形で進んでいる。
東京で習い始めた時でも音階の読み方も怪しかった自分が教本の1つの曲をやるだけでも大変だった。
しかし先生は厳しい。
とても厳しい。
まだ読めなかった音階にカタカナを振っていたら「こんなもん付けてたらいつまでも上手くならないんですよ」ということで心の頼りの音階が消し去られた。
「次の音を死ぬ気で追うんだよ」と。
この前のレッスンで間違ったら「チッ」と舌打ちがきた。
そして今日のレッスンは今までで一番激しかった。
先生はきっとセッションを観たに違いない。
間違えたら殺される、そんなプレッシャーを1メートル先に感じながらの練習。
でも、今日の俺は、いつもとちょっと違うんだ。
ちょっと、お腹が痛かった。
そういえば、柚子胡椒って赤色だったっけ?
あれ、実家でしばらく冷蔵庫に放置されていた食べかけのメンマにもこもこ生えてたヤツじゃないかなぁ。
食べちゃったなぁ。一部、赤かった柚子胡椒。
柚子胡椒 - Wikipedia より引用
なんかお腹が張っている。
そんななか先生からの厳しいプレッシャー。
「プロってのは一音でもミスったら一生笑われ者なんだよ」
「1つでもミスったら最初からやり直し。ノーミスでできるまで帰れないから。」
「どんどん良くなってるよ。でも絶対にノーミスでやるんだ。1人の練習だってそう、ピアノがいて、一音でもミスったらそいつの伴奏を無駄にしちまうんだ。そういう場面を想定して、プレッシャーの中で練習するんだよ。それが君を鍛える。」
良いことを言われている。
ものすごいプレッシャーの中でも、どんどん自分の音がよくなっていることが分かる。
譜面の音と自分が読み間違えた音が出てきてしまうのが本当にもったいない
先生からの高まるプレッシャー
どんどん良くなる自分の音
張り詰めていくお腹。
「プロってのは一音でもミスったら一生笑われ者なんだよ」
ハイ!(なんか屁が出そう…)
「1つでもミスったら最初からやり直し。ノーミスでできるまで帰れないから。」
頑張ります!(ちょ、ちょっといますかしたの出たけど大丈夫か…!?)
「どんどん良くなってるよ。でも絶対にノーミスでやるんだ。1人の練習だってそう、ピアノがいて、一音でもミスったらそいつの伴奏を無駄にしちまうんだ。そういう場面を想定して、プレッシャーの中で練習するんだよ。それが君を鍛える。」
ありがとうございます!(残り香とか大丈夫かなぁ…)
表題に戻る。
いま、モノを買う時代ではなくコトを買う時代と言われている。
今週のお題「今年買って良かったモノ」
モノではなく、音楽はやり始めてよかったなって思う。
先生はそりゃ厳しいけども、いずれドラクエの曲とかジャズの曲を誰かと吹けたらなと思う。
そういうコトを買ってよかったなと思う。レッスン代、高いけど。
家に帰ったあと、教本を取り出し、音符の確認をする。
上手くなりたいな。
そして、冷蔵庫から取り出した柚子胡椒を、捨てた。
〆
とう・もろ・こし
今年から働き始めて、やはり新入社員として大事なのは「ほう・れん・そう」と言われる。
腐るほど聞かされる。呪詛かと思う。
しかし「報告・連絡・相談」というのが仕事を進めるうえで何よりも重要なのはわかっている。頭では分かっている。
それでも、言い返せないほど正しい正論ほど耳には正しく聞こえてこないものだ。
でもあと半年後には新入社員が入ってきて、(雑用を押し付け)、一から色んなことを教えなければならない。
その仕事内容の前に教えなければならないのが、やはりその「ほう・れん・そう」なんだろうと思う。
この「ほう・れん・そう」の何がイヤかって、言葉をひとまとめにしている割に今ではそんなに上手いと思えず、野菜にまとめている割にはすでに新鮮さが失われていてシナシナなことだ。
それでいて人から「仕事に大事なのは『ほう・れん・そう』なんだよ」なんて言われると、重要なのは分かるけどもそのフレーズの聴こえ方が気に食わないので頭に入ってこない。
何回も言われると、耳からそのホウレンソウ掻き出したくなる。
そんなことを言いつつ、来年から入ってくる、内定辞退しなければ入ってくる、後輩には訳知り顔で「いいか、仕事に大事なのは『ほう・れん・そう』なんだぞ」なんて言わなければならない。
いやだ。
もう違う野菜使いたい。
「いいかい、仕事に大事なのはブ・ロッコ・リー、だ」とかささやきたい。
「アス・パラ・ガス これ何の略だかわかるか?」
「だから言っただろ、あれだけ とう・もろ・こし には気を付けろって」
ちなみに全く意味は込めていない。
こんなこと言い続けていたら、きっと野菜先輩とかあだ名つけられるんだろうな。
そこまで、野菜、好きじゃないんだけどな。
未だに生のトマトは食えんのに。
〆
なるほどですね。
わ
る
ね
いきなり単文字を3つを並べた
のでついに頭がおかしくなったのかと思われそうだが、認めざるを得ない…
と頭がおかしいおかしくない話をしたいのではなく、言い方の話をしたい。頭はおかしいかもしれないが。
多忙なコンサル会社で働く友人に「どうやったら仕事効率的に進められんの?」と聞いたら
その日のうちに明日やることのリストを書いて、次の日はそのリストを消していくというやり方だった。
ゼロ秒思考とかで有名なやり方だとは思うけど、実践してるのはすごいなーと思うて自分もやってみている。
そして冒頭に戻ると、手帳に わ と る を連続で急いで書こうとしたら ね になってしまった。
ね ってなかなか手書きで書くことはない文字なんだよなぁと、
お前もニッチなとこで必要とされてるけど大衆に必要とされている字が羨ましかったりすんのかなー
し とか い とかメジャーすぎるもんなー
でもニッチな場所でも個性を出していくしかないんだよなぁ
というように ね にしみじみと同質化と勝手な同情をしていた。
実際、話し言葉では ね を語尾でよく使う。
なるほどですね。
内向的性格とその敵とは
今週のお題「行ってみたい時代」
ということで、題名には関係ないことを書いてみた。
性格診断というのをやってみたことは誰しもがあると思う。
自分というものは、意外と自分自身で自分の内面に気づくのはとても難しい。
というのも大体が気づかずに自分が行っている行動が相手に見られて、相手にとっては「そういう人だ」と認識されるのだから、
そこに自分の意志はないんだよね。気づくわけがない。
人は大体無意識の自分を見られているのだから自分自身がどういう人なんて、無遠慮をあえて言う優しい友達か、無神経な家族など、そういう人しか言ってくれない。
意外とみられている"ありのまま"の自分。
そこに自分の意識的に「こう見られたい」という行動が相手に伝わったり、伝わらなかったり、意図がバレたりするもんだから、
自分がどう見られているかなんて、聞いたって「いや、知らんて」と思うんじゃないだろか。
その点、性格診断なんて気楽でいい。
星座やアンケート、生年月日、手相、星の動きや人相で割り出してくれる。
実はこういう性格診断なんてのが好きで、Facebookで誰かがまともに見えるような心理テストとかやっているとよくやってしまう。
質問の後半からなんとなく追い込み漁に囲まれた魚の気分で連続的に性格を決めつけられていくけど、
結果的には"内向的な人間”と診断された。
まったくその通り、のような、釈然としないような結果である。
釈然としないというか、合っていたくはない結果だからだと思う。
就活の時にもさんざん言われたように、「コミュニケーション能力」が求められている時代だとつくづく感じる。
仕事が色々と舞い込んできて、優先順位をつけようにも分からない問題ばかりで対処法が分からない。
質問するとしても、「良い」聞き方が分からない。
まず自分なりに考えてから、と思うけれども、その途中でまた違う仕事の内容も考えるから混乱する。
先輩たちを見ると、簡潔に分からないところを質問して、どうすればいいですかね、と聞いている。
だから仕事が早く進む。
それが内向的な人間とやらにはなかなか難しくて、聞くことを遠慮するのと、そもそも今まで「人に聞いて仕事をしていく」ということをあまりしてこなかったのが響いている。
どの所属組織にいても、大体が特殊な位置にいたりして、好き勝手やってきたようなもんだから、改めて組織の中で働いていることというのが難しい。
あと、飲み会でも気軽に人と話すというのが本当に難しい。
目の前の会話が矢のように飛び交っていると、なかなかそこに入り込めないし、
そもそも矢が飛び交っていたら盾持ってすき間から「矢、すげえ飛んでるなぁ」と見ている人間には、そこに飛び込む勇気はなかなか持てない。
そんですき間から見ていたら「全然喋ってないよ!」とか矢を刺されて倒れるというね。
人にもよるんだろうけどなあ。
この前の飲み会では二次会から行く予定だったのだけど、
先輩から「バナナ買ってきて!」という謎のLINEが入っていたことに対して、バナナと青ネギをセットで買ってきたら意外と反応があった。
そんくらい意味わかんないことしてもいいなら楽しめるのだけども。
iPhoneと間違えた振りしてポケットからバナナを取り出してみたりもした。それはあまりウケなかった。
内向的な人間というのは扱いが本当に難しいと思う。
なにせ外交的な人間が、相手に向かって喋ったりするのに対して、
自分のような内向的な人間というのは、しゃべったことに対して自分がどう思われるか、を気にすることが多い。
だから会話をしづらい。
対相手じゃなくて対自分だから、味方は自分だし、敵も自分だ。
社交的な性格になりたかったな、とつくづく思う。
それが形成されるのは、おそらく小さいころなんだろうな。
自分では小さいころはよく活発で喋っていたと思うのだけども、
親や兄からは「お前は小さいころからあんまり喋らないから何考えてるか分からんかった」と言われる始末。
兄がとても活発で、社交的な人間で、なおかつ兄とは正反対の性格になろうとしていたから、
まったくの正反対の性格になった。つまり、あまり自己主張はせず、おとなしくいようとする、内向的な人間になるはじまり。
人とかかわるよりも、自分がどうしたいかの方が大事にしていたな。自己中心的というのは、おとなしいとは関係ないんだよね。
お題のタイトルにあるように、「行ってみたい時代」と言われたら、
内向的性格進行前の、おそらく小学校4年生の半ばあたり、
自分でオリジナル漫画描き始めて、小学校の「漫画クラブ」に入る前の「少年時代」に戻りたい。
そして、両手を肩にかけて、少年時代の自分の目をまっすぐ見つめてこう言いたい。
「いいか、カズヤくんにはな、自分の漫画に出てきたドラゴンのキャラをパクられたくらいで小学生時代2回くらいしかないマジ切れをするんじゃないぞ。そもそもお前の漫画の主人公のザックくんは3つ上の兄が描いていたオリジナル漫画のライトくんのモロパクリということを忘れるな。許してやれ。」
内向的な人間の少年時代は、きっと濃いネズミ色の歴史に彩られているんじゃないかと、周りの人もきっとそうだろうと、勝手に思っている。
〆
Ob-La-Di, Ob-La-Da
画像に本当に意味はないのだけど、以前書こうとした日記で使えなかったので。
実に久しぶりの休日らしい休日だった。
なんて幸せだったんだ。
夜12時過ぎて寝て、高校の時学年一かわいいと言われていた人が夢に出てきて、仲良くしゃべっていて、朝9時に目が覚めて、もう一度夢見たいから寝る。
もう夢には出てこなかったけど、なんて幸せなんだろうか。
二度寝が一番幸せだ。
寝るのが一番精神に良い。
ただ、自分には悪い癖があって。
人の話を聞いているとすぐ眠くなる。
発言する権利もなく、自分に関係ないなと思うと、急に眠気がくる。
高校のころから、大学の授業でも、そして会議などでも。
ボールペンで太ももを刺したり、つねったり、息を止めて自分を殺しにかかったり、あらゆることをするのだけれども、
やはり自分に関係ないなと思うと眠くなる。
会社のミーティングでも、やはりいつも大変そうで疲れている人はカクッとなっている。
分かるなぁと思いつつ、耐えているときやはりこんな顔になっているんだと思う。
眠いときの自分。
今朝の新聞で読んだのだけど、やはり眠くなってしまうときは刺激を与えても、それを刺激だと感じなくなれば眠くなくなるらしい。
そういう時、喋ることで眠気がなくなっていくんだそうな。
でも眠くなるときってたいてい喋りにくい時なんだよぁ
偉い人でもミンティア食べてたりするんだよな。
せっかくにおいを扱っているし、においで眠気をぶっ飛ばせればいいんだけどな。
スペアミントとかだと普通。
臭いのはいくらでも臭いのあるだろうけど、周りにも迷惑なんだよな
眠気が覚めるようなにおいってのは難しいけど、会議中に眠くなっても突然話を振られると冷や汗とともに眠気が覚めるから、冷や汗の出るようなにおいがいいのかね。
ただ単にいい匂いだとか、嫌なニオイとかではなく、アリやマウスみたいに危険を知らせるフェロモンを嗅いだら一発で眠気が覚める気がする。
そんな商品があったらキャッチコピーはこれだろう
「今のお前に足りないものがある。危機感だ」
幽遊白書12巻より。
明日からまた、危機感のある日々がはじまる。
日中のんきに寝ている暇はないけれど、あと4日働いて、寝よう。
〆
ものをつくるということ
果たしてものをつくることはできるんだろうか。
最近の悩みである。
なんとなくだけど大学時代から開発職を望み、開発者となり、生活に身近なものを作ることを考えていた。
実際大学時代の研究もマウスの精巣を光らせる手法の開発であるし、研究ってわけでもない。
目に見える形で自分の成果を残したいという思いで商品開発をしている。
しかし、商品を開発するということは、まったくもって難しい。
「商品」と「開発」この2つの言葉ですらなんとなくのイメージでしかなく、なんかものつくるんだねーってことしか想像がいきつかないし、人それぞれの解釈の商品が思い浮かび、人それぞれの解釈の開発という想像にばらける。
実際に商品を見る目というのは、日常の買い物を思い浮かべるにあたり、非常に厳しい視線が投げかけられるものだ。
例えば歯ブラシを選ぶときなんかを考えてみると、多少高いと思えば買わないし、他社の商品が安かったらなんとなくそっちを選ぶ、これにそこまでお金かけられないなということで一度手に取っても棚に戻される、CMが嫌いだからここはいいや、種類いっぱいあってよくわかんない、色が気に入らないからいいや、また来たときに買えばいいや。
ちょっとのことで購入意欲なんてなくなる。
メーカーの意向や込められた思い、開発経緯なんてそこにはない。
ただお客さんが見て、興味が湧かなかったらそれで終わり。
お客様は神様とやらであるし、実際自分も店に入れば神様側の視点でものを選ぶ。
商品開発っていうのは、どんな思いを込めたとしても、どんな経緯があったとしても、お客さんの心に響かなければ作ったものは買われない仕事なんだな。
でもなんとなく買う人もいる。
そういう人には何かしらのメッセージが届いている。
わずかな曲線や、胸を張って言える効果や、色、パッケージの形、文字の大きさ、触感、プラスチックのザラザラ感、キャッチコピー、ブランドイメージ、CM。
そういう「なんとなく買う」ようになってくれるために、商品開発としては矛盾がないほど筋の通った明確なメッセージが必要となり、その仕様を決めなければならない。
地獄のような作業の数だ。
洗濯ばさみだって、大きさやバネの硬さで使い心地がまったく異なるし、ほとんどが同じような形の中、どうやって差別化を図れるだろうか。
しかし差別化しなければ、安ければいいという双方が妥協した結論でものが売られ、その市場が腐っていってしまう。
売れなければ商品にならないし、儲からなければメーカーは成長できない。
売れるものを作るのが商品開発であり、「なんとなく買う」きっかけとなるための解像度の高いメッセージを作り、それに向けた仕様を作るのが開発作業。
深みにはまってしまいそうなほど難しい仕事を選んだなと思う。
前回で3回ほど役員の前で考えた商品をプレゼンするという機会をもらったのだけれども、
つくづく自分の発想力の低さに苦しむ。
自分の分野でお客さんを想定できない、買って使って喜んでくれる姿を想像できない、分からない。
本当にものづくりとして基本的な、そして欠けていれば致命的なマインドが自分にはないのではないかと、不安で仕方がない。
ある役員の方にプレゼン後に教えを乞うて、そのお礼をメールで送ったあとにこういうメッセージが返ってきた。
まずは自分がほしいと思うもの
まずは愛する人に心から使ってもらいたいもの
そういう喜んでいただけるお客様をきめたら、その人に何を言えば、そのことが伝わるかを考え
そしてほの人にしっかりと頭の中に価値を認識してもらい、
そういうパッケージにし、
価格にして、
どこで、どのように買っていただくかを考え。
そういうお客様がこれだけいるに違いない、何故なら・・・
というのを整合性といいます。
パワポの整合性というのは自分がどう見られたいか、自分に愛情を注いでいるにすぎません。
頑張ってください。
プレゼン後の質問時に「君は調査から入るのが本当によくないし、もったいない」「自分がやりたいと思うことを、ほしいと思うものを言うんだよ」「既婚女性20代といってもどういうお客様か分からないでしょう」という指摘をいただいて、
終わった後に5分でいいから時間くださいと言ったら「昼休みだけど15分くれるか!」と言ってマーケテイングの基礎の基礎を教えてもらった。
そのときのお礼としてメールに自分はパワポの整合性ばかりを考えていて、お客様のことをちゃんと見ていなかった、ということを伝えたら、上記のような文章が返ってきた。
熱い気持ちになったし、「そうだ、日用品って誰も傷つけずに幸せな気持ちにできるかもしれない、いやな気持を減らせる商品になれるから、日用品の開発を選んだんだった」と原点に気づかされた。
自分の中の独創性なんてどうでもよくて、お客さんが困っているから、それに基づいた発想が出てくるだけだ。
最近残業ばっかりだし、納期の交渉とかばっかりだから、何も開発できてないと落ち込んでいたのだけど、またがんばろうと思えた。
でも「ほの人」はなあ
「ほの人」が本当に惜しかったなあ
完全に決まり切らないからこそ、ちょっと笑えていいのかもね。
〆