不自然な言葉たち
中野駅まで歩くと、トンネルがある。
頭上には電車が通っていて、ホームレスが段ボールを控えめに、でもここまでは俺の領域だと誰かに主張するように広げている、そんなトンネル。
横を見ると中野区のニュースだったり、順位をつけられた絵が貼られていたりする。
そんでTSUTAYAに行く時によくそこを通るんだけど、最近はどうやら書初めが貼られているようで。
小学二年生の作品がガラスケースに収められてずらりと並んでいた。
そういえば書いてたなぁって思いながら横目に見てたんだけど、
やっぱり書初めの言葉って変だよね。
強い信念
強い信念
強い信念
強い信念
強い信念
並んでるとなんか怖いわ。
花さく里
中野区にはないでしょう。
生きる力
生きる力
生きる力
生きる力
小学生でそれがなかったら悲しい。
書かされてるとき何を思うんだろう。
習字の言葉って誰が選ぶんだろうね。
そう思って日本習字協会というのを見つけたので見てみた。
http://www.shujigakkai.or.jp/cl01/reslut.php?word=ZA
文部科学省学習指導要領に準拠した学びやすく美しい手本です。毛・硬筆ともに、本会の教材手本は正しく整った書風で書かれており、小・中学生が学習するのに最適です。
特に、これから書写の学習を始めようとするお子さんには、楽しみながら基本の筆づかい・字形の整え方などをしっかりと学ばせたいものです。
『習字クラブ』の手本は正しく美しい字を身につけるのに最も適した教材で編集されています。
※毎月25日前後に発行。(8月号は休刊)
機関紙(手本)を出しているらしく、小・中学生の手本に最適らしい。
そんでこれが何に基づくかというと、「文部科学省学習指導要領」ということだそうだ。
確かに義務教育だから指導要領に沿うんだろうなぁ
そんで学習指導要領とやらを斜め読みしてみると、
現行学習指導要領・生きる力
と出てきた。
生きる力ってお前か。
なんにせよ習字に関わるような内容見てみた。
第2章 各教科 第1節 国語
第1 目標
国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。
第2 各学年の目標及び内容
〔第1学年及び第2学年〕〔第3学年及び第4学年〕〔第5学年及び第6学年〕
はい。
まず第一学年及び第二学年を見てみる。
B 書くこと
- (1) 書くことの能力を育てるため,次の事項について指導する。
- ア 経験したことや想像したことなどから書くことを決め,書こうとする題材に必要な事柄を集めること。
- イ 自分の考えが明確になるように,事柄の順序に沿って簡単な構成を考えること。
- ウ 語と語や文と文との続き方に注意しながら,つながりのある文や文章を書くこと。
- エ 文章を読み返す習慣を付けるとともに,間違いなどに気付き,正すこと。
- オ 書いたものを読み合い,よいところを見付けて感想を伝え合うこと。
- (2) (1)に示す事項については,例えば,次のような言語活動を通して指導するものとする。
- ア 想像したことなどを文章に書くこと。
- イ 経験したことを報告する文章や観察したことを記録する文章などを書くこと。
- ウ 身近な事物を簡単に説明する文章などを書くこと。
- エ 紹介したいことをメモにまとめたり,文章に書いたりすること。
- オ 伝えたいことを簡単な手紙に書くこと。
書くことという内容はまた違うらしい。
〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕
それっぽい項目
(2) 書写に関する次の事項について指導する。
- ア 姿勢や筆記具の持ち方を正しくし,文字の形に注意しながら,丁寧に書くこと。
- イ 点画の長短や方向,接し方や交わり方などに注意して,筆順に従って文字を正しく書くこと。
これだけだった。
ざっと調べただけだけど、どういう言葉かっていう規定はないようだ。
それでも意味が分からない言葉を書かされるのがずっと続いてるのも変な気がするんだけどな。
まぁ好きな言葉を書けって言っても何書けばいいか分からないし、
四字熟語を書けっていったら焼肉定食ってふざけるやつ出てくるし、20年後にそういう言葉を書いたことを後悔する人物が出てくるだろうし、例えば俺とか。
それでも言葉についてはそろそろ改めた方がいいんじゃないかなぁって思う。
特に↓の言葉とか。
世界の子
なんぞこれ。
何もコメントできねえよ。
〆
2016年を早々にまとめてみた
今週のお題「年末年始の風景」
1月5日、もう年末ですね!
最早あと360日で2016年も終わろうとしている。
2015年なんて過去のことを振り返っても仕方がない。
振り返った自分のことを書いても結構人は興味がない。
毎年年末に「今年はこんなことがあって、あんなこともあって、来年はこんな風になりたい」なんて書いてきたのだけれども
まぁすべてやりきれてはいない。
反省スタイルというのはなかなか厄介なもので、
反省を即活かすような優れた人間性を持ち合わせていればもっと違う世界が見れただろうなあと思いつつ
そんな窮っとして過ごしたくないなという反優秀な人間性の方が働くのだから。
反省じゃなくて、先にぼそっと「まぁ来年こうなってんだろうな」っていうのを吐き出しといた方が実行率高いだろうなと思う。
ということで早々に2016年をまとめてみる。
1.生きてた
いやーよかった。もうこれだけでお腹いっぱい。
できれば五体満足、精神疾患もなく過ごしていたいね。
生きてるだけで丸儲けというもんだが、まったくだ。
できれば知り合い全員生きてくれていたらいい。または天命に任せる。
誰かが死ぬ前には会いたいね。
会話ができるのは生きていても頭と体がしっかり働く状態でしかないんだよな。
自分も家族も生きててほしいと思える人も無事健康で。
2.結婚した
自分でもまさかだった。本当に世の中分からないもんだ。
2015年なんてクリスマスは晩飯に食べたココイチのポークカレーがやけにしょっぱかった想い出しかなかった。
いやぁほんと、人生頑張ったらいいことあるもんだね。
今の時点ではまったく想像の域を超えてくれないんだけどな。超えてくれよ。なあ。
今年はクリスマス一人だったら意地でも本格的なケーキ作ったるわ。
デコレートするわ。砂糖菓子でサンタでも作るわ。そして咽び泣くわ。
3.7㎏増量
太った。
確かに去年の65㎏⇒60kgはさすがに驚いたので、筋肉を再度搭載することに。
60kg⇒67kgになった。
脂肪だけがなくなってやつれたんだけではなく筋肉の方がごっそり落ちているようだった。
普段の食事のカロリー量とタンパク質が足りていないのかもしれなかったので、
ごはんよりおかず増量、おやつにチョコレート味のプロテイン牛乳でアミノ酸補給をすることにしていた。
体脂肪はなるべく多くありたくないとは思ったけれども、それ以上に筋肉が落ちているのが恐ろしい。
フットサル大会とか出てみると走り方が分からなくなってる。走る筋肉がなくなってるんだよな。
プロテイン買ってごくごく飲んで、週に2回は20分走って、銭湯行って、フルーツ牛乳飲んで、プハー!カァー!これだねこれ!とか言って過ごすことにしよう。
あと目指す状態としては
・サックスの腕を磨いてアドリブができちゃう、友達の結婚式の余興に出られるレベルに
・CAD設計ができるようになって、製品設計とシミュレーションができるようになる
・新商品アイデアの処方を完成、更に3アイテムを発表し事業化へ動きださせる
・ブータンに旅行行って悟りを開いた顔ができるようになっている
・コーヒーの豆の品種で香りが分かる、喫茶店の真似事ができるくらいになっとく
あ、2016年も終わるのなら先に言っておこう。こういうのはきちんと言っておかねば。
誕生日おめでとうございます先輩!
誕生日おめでとう友達!
誕生日おめでとうFacebookでしかつながっていない友達!
誕生日おめでとうと言われているつながりのない友達の友達誕生日おめでとう!
2015年も誕生日おめでとうと言うのが言うべきか言わないべきか迷って言わなかった人たちおめでとう!
本当おめでとう!これだけ言えば今年のFacabookでの誕生日おめでとう分は免除だな!
2017年が始まるとしたら、仕事も3年目。
いっちょまえになっとかんとな。
がんばるんだ。がんばるんば。
〆
かーわやー
セッション!
今週のお題「今年買って良かったモノ」
アルトサックスを習っている。
リコーダーなんてがんばれゴエモンに出てくる装備くらいにしか考えていなかったし、
楽器を習う絶好の機会が回転寿司のように何度も何度も回ってきたけれど、
そのたび言い訳して力強く見逃してきた。
('-`).。(よく町民叩いて怒らせて屋根に登ってたなぁ)
そんな思いを溜めていながらも今更今更と見逃し続けていたのだけれども、
ふとしたきっかけで研究室の先輩たちがタイミングよくヤマハ大人の音楽教室に入り始め、
それじゃ自分もと、ぬるっと便乗して憧れていたサックスのレッスンに受けに行くことに。
それが去年の11月末。ちょうど今日くらいでサックスを習い始めて1年が経つ。
仙台で習っていた先生の紹介で代々木の音楽教室を紹介してもらい、習いに行ってる。
ラクール50というサックスのクラシックの教本と、ジャズスタンダードの教本の2つを同時に進める形で進んでいる。
東京で習い始めた時でも音階の読み方も怪しかった自分が教本の1つの曲をやるだけでも大変だった。
しかし先生は厳しい。
とても厳しい。
まだ読めなかった音階にカタカナを振っていたら「こんなもん付けてたらいつまでも上手くならないんですよ」ということで心の頼りの音階が消し去られた。
「次の音を死ぬ気で追うんだよ」と。
この前のレッスンで間違ったら「チッ」と舌打ちがきた。
そして今日のレッスンは今までで一番激しかった。
先生はきっとセッションを観たに違いない。
間違えたら殺される、そんなプレッシャーを1メートル先に感じながらの練習。
でも、今日の俺は、いつもとちょっと違うんだ。
ちょっと、お腹が痛かった。
そういえば、柚子胡椒って赤色だったっけ?
あれ、実家でしばらく冷蔵庫に放置されていた食べかけのメンマにもこもこ生えてたヤツじゃないかなぁ。
食べちゃったなぁ。一部、赤かった柚子胡椒。
柚子胡椒 - Wikipedia より引用
なんかお腹が張っている。
そんななか先生からの厳しいプレッシャー。
「プロってのは一音でもミスったら一生笑われ者なんだよ」
「1つでもミスったら最初からやり直し。ノーミスでできるまで帰れないから。」
「どんどん良くなってるよ。でも絶対にノーミスでやるんだ。1人の練習だってそう、ピアノがいて、一音でもミスったらそいつの伴奏を無駄にしちまうんだ。そういう場面を想定して、プレッシャーの中で練習するんだよ。それが君を鍛える。」
良いことを言われている。
ものすごいプレッシャーの中でも、どんどん自分の音がよくなっていることが分かる。
譜面の音と自分が読み間違えた音が出てきてしまうのが本当にもったいない
先生からの高まるプレッシャー
どんどん良くなる自分の音
張り詰めていくお腹。
「プロってのは一音でもミスったら一生笑われ者なんだよ」
ハイ!(なんか屁が出そう…)
「1つでもミスったら最初からやり直し。ノーミスでできるまで帰れないから。」
頑張ります!(ちょ、ちょっといますかしたの出たけど大丈夫か…!?)
「どんどん良くなってるよ。でも絶対にノーミスでやるんだ。1人の練習だってそう、ピアノがいて、一音でもミスったらそいつの伴奏を無駄にしちまうんだ。そういう場面を想定して、プレッシャーの中で練習するんだよ。それが君を鍛える。」
ありがとうございます!(残り香とか大丈夫かなぁ…)
表題に戻る。
いま、モノを買う時代ではなくコトを買う時代と言われている。
今週のお題「今年買って良かったモノ」
モノではなく、音楽はやり始めてよかったなって思う。
先生はそりゃ厳しいけども、いずれドラクエの曲とかジャズの曲を誰かと吹けたらなと思う。
そういうコトを買ってよかったなと思う。レッスン代、高いけど。
家に帰ったあと、教本を取り出し、音符の確認をする。
上手くなりたいな。
そして、冷蔵庫から取り出した柚子胡椒を、捨てた。
〆
とう・もろ・こし
今年から働き始めて、やはり新入社員として大事なのは「ほう・れん・そう」と言われる。
腐るほど聞かされる。呪詛かと思う。
しかし「報告・連絡・相談」というのが仕事を進めるうえで何よりも重要なのはわかっている。頭では分かっている。
それでも、言い返せないほど正しい正論ほど耳には正しく聞こえてこないものだ。
でもあと半年後には新入社員が入ってきて、(雑用を押し付け)、一から色んなことを教えなければならない。
その仕事内容の前に教えなければならないのが、やはりその「ほう・れん・そう」なんだろうと思う。
この「ほう・れん・そう」の何がイヤかって、言葉をひとまとめにしている割に今ではそんなに上手いと思えず、野菜にまとめている割にはすでに新鮮さが失われていてシナシナなことだ。
それでいて人から「仕事に大事なのは『ほう・れん・そう』なんだよ」なんて言われると、重要なのは分かるけどもそのフレーズの聴こえ方が気に食わないので頭に入ってこない。
何回も言われると、耳からそのホウレンソウ掻き出したくなる。
そんなことを言いつつ、来年から入ってくる、内定辞退しなければ入ってくる、後輩には訳知り顔で「いいか、仕事に大事なのは『ほう・れん・そう』なんだぞ」なんて言わなければならない。
いやだ。
もう違う野菜使いたい。
「いいかい、仕事に大事なのはブ・ロッコ・リー、だ」とかささやきたい。
「アス・パラ・ガス これ何の略だかわかるか?」
「だから言っただろ、あれだけ とう・もろ・こし には気を付けろって」
ちなみに全く意味は込めていない。
こんなこと言い続けていたら、きっと野菜先輩とかあだ名つけられるんだろうな。
そこまで、野菜、好きじゃないんだけどな。
未だに生のトマトは食えんのに。
〆
なるほどですね。
わ
る
ね
いきなり単文字を3つを並べた
のでついに頭がおかしくなったのかと思われそうだが、認めざるを得ない…
と頭がおかしいおかしくない話をしたいのではなく、言い方の話をしたい。頭はおかしいかもしれないが。
多忙なコンサル会社で働く友人に「どうやったら仕事効率的に進められんの?」と聞いたら
その日のうちに明日やることのリストを書いて、次の日はそのリストを消していくというやり方だった。
ゼロ秒思考とかで有名なやり方だとは思うけど、実践してるのはすごいなーと思うて自分もやってみている。
そして冒頭に戻ると、手帳に わ と る を連続で急いで書こうとしたら ね になってしまった。
ね ってなかなか手書きで書くことはない文字なんだよなぁと、
お前もニッチなとこで必要とされてるけど大衆に必要とされている字が羨ましかったりすんのかなー
し とか い とかメジャーすぎるもんなー
でもニッチな場所でも個性を出していくしかないんだよなぁ
というように ね にしみじみと同質化と勝手な同情をしていた。
実際、話し言葉では ね を語尾でよく使う。
なるほどですね。
内向的性格とその敵とは
今週のお題「行ってみたい時代」
ということで、題名には関係ないことを書いてみた。
性格診断というのをやってみたことは誰しもがあると思う。
自分というものは、意外と自分自身で自分の内面に気づくのはとても難しい。
というのも大体が気づかずに自分が行っている行動が相手に見られて、相手にとっては「そういう人だ」と認識されるのだから、
そこに自分の意志はないんだよね。気づくわけがない。
人は大体無意識の自分を見られているのだから自分自身がどういう人なんて、無遠慮をあえて言う優しい友達か、無神経な家族など、そういう人しか言ってくれない。
意外とみられている"ありのまま"の自分。
そこに自分の意識的に「こう見られたい」という行動が相手に伝わったり、伝わらなかったり、意図がバレたりするもんだから、
自分がどう見られているかなんて、聞いたって「いや、知らんて」と思うんじゃないだろか。
その点、性格診断なんて気楽でいい。
星座やアンケート、生年月日、手相、星の動きや人相で割り出してくれる。
実はこういう性格診断なんてのが好きで、Facebookで誰かがまともに見えるような心理テストとかやっているとよくやってしまう。
質問の後半からなんとなく追い込み漁に囲まれた魚の気分で連続的に性格を決めつけられていくけど、
結果的には"内向的な人間”と診断された。
まったくその通り、のような、釈然としないような結果である。
釈然としないというか、合っていたくはない結果だからだと思う。
就活の時にもさんざん言われたように、「コミュニケーション能力」が求められている時代だとつくづく感じる。
仕事が色々と舞い込んできて、優先順位をつけようにも分からない問題ばかりで対処法が分からない。
質問するとしても、「良い」聞き方が分からない。
まず自分なりに考えてから、と思うけれども、その途中でまた違う仕事の内容も考えるから混乱する。
先輩たちを見ると、簡潔に分からないところを質問して、どうすればいいですかね、と聞いている。
だから仕事が早く進む。
それが内向的な人間とやらにはなかなか難しくて、聞くことを遠慮するのと、そもそも今まで「人に聞いて仕事をしていく」ということをあまりしてこなかったのが響いている。
どの所属組織にいても、大体が特殊な位置にいたりして、好き勝手やってきたようなもんだから、改めて組織の中で働いていることというのが難しい。
あと、飲み会でも気軽に人と話すというのが本当に難しい。
目の前の会話が矢のように飛び交っていると、なかなかそこに入り込めないし、
そもそも矢が飛び交っていたら盾持ってすき間から「矢、すげえ飛んでるなぁ」と見ている人間には、そこに飛び込む勇気はなかなか持てない。
そんですき間から見ていたら「全然喋ってないよ!」とか矢を刺されて倒れるというね。
人にもよるんだろうけどなあ。
この前の飲み会では二次会から行く予定だったのだけど、
先輩から「バナナ買ってきて!」という謎のLINEが入っていたことに対して、バナナと青ネギをセットで買ってきたら意外と反応があった。
そんくらい意味わかんないことしてもいいなら楽しめるのだけども。
iPhoneと間違えた振りしてポケットからバナナを取り出してみたりもした。それはあまりウケなかった。
内向的な人間というのは扱いが本当に難しいと思う。
なにせ外交的な人間が、相手に向かって喋ったりするのに対して、
自分のような内向的な人間というのは、しゃべったことに対して自分がどう思われるか、を気にすることが多い。
だから会話をしづらい。
対相手じゃなくて対自分だから、味方は自分だし、敵も自分だ。
社交的な性格になりたかったな、とつくづく思う。
それが形成されるのは、おそらく小さいころなんだろうな。
自分では小さいころはよく活発で喋っていたと思うのだけども、
親や兄からは「お前は小さいころからあんまり喋らないから何考えてるか分からんかった」と言われる始末。
兄がとても活発で、社交的な人間で、なおかつ兄とは正反対の性格になろうとしていたから、
まったくの正反対の性格になった。つまり、あまり自己主張はせず、おとなしくいようとする、内向的な人間になるはじまり。
人とかかわるよりも、自分がどうしたいかの方が大事にしていたな。自己中心的というのは、おとなしいとは関係ないんだよね。
お題のタイトルにあるように、「行ってみたい時代」と言われたら、
内向的性格進行前の、おそらく小学校4年生の半ばあたり、
自分でオリジナル漫画描き始めて、小学校の「漫画クラブ」に入る前の「少年時代」に戻りたい。
そして、両手を肩にかけて、少年時代の自分の目をまっすぐ見つめてこう言いたい。
「いいか、カズヤくんにはな、自分の漫画に出てきたドラゴンのキャラをパクられたくらいで小学生時代2回くらいしかないマジ切れをするんじゃないぞ。そもそもお前の漫画の主人公のザックくんは3つ上の兄が描いていたオリジナル漫画のライトくんのモロパクリということを忘れるな。許してやれ。」
内向的な人間の少年時代は、きっと濃いネズミ色の歴史に彩られているんじゃないかと、周りの人もきっとそうだろうと、勝手に思っている。
〆